| 開始日時 | 2023/11/23 16:16:29 | 終了日時 | 2023/11/24 12:09:48 |
| 水平距離 | 34.93km | 沿面距離 | 37.05km |
| 経過時間 | 19時間53分19秒 | 移動時間 | 3時間40分29秒 |
| 全体平均速度 | 1.86km/h | 移動平均速度 | 9.77km/h |
| 最高速度 | 277.40km/h | 昇降量合計 | 345m |
| 総上昇量 | 171m | 総下降量 | 174m |
| 最高高度 | 65m | 最低高度 | -3m |
2023/11/23 16:35:54
貞永元年(1232年)9月の大洪水時に、「仲哀天皇の森」という名の高地に避難していた村人のところに、柴に乗った小祠が流れ着き、まもなく水が引き救われたため、以後、産土神として奉祀したのが起源という。
祭神
八幡大神
天照皇大神
春日大神
2023/11/23 16:41:28
大阪市の北東部を狙って昭和20年6月7日に米軍が行った大空襲 爆撃の後低空から機銃掃射を執拗(しつよう)に繰り返し、城北公園付近に避難した人々を狙った銃撃は、木に隠れた女学生まで撃ち殺したという。
この時に浄水場の永源寺駅側壁面に弾痕が約50メートルに渡り残された。
その歴史の生き証人として残す。
<なんか看板の説明が物足りないので千人塚の説明と合体して記載:ファクトチェックはしてないのあしからず>
2023/11/23 16:53:03
三社大明神と地蔵尊が祀られているが詳細がわかりませんでしたが、綺麗に保たれています。
2023/11/23 17:11:17
ビルに囲まれた猫の額の様な神社
【主祭神】行者神変大菩薩(ぎょうしゃじんべんだいぼさつ):役小角
【合祀神】・西尾六右衛門(山口村庄屋) ・澤田久左衛門(大道村庄屋) ・一抑太郎兵衛(新家村庄屋)
徳川4代将軍家綱の代、低湿地の西成郡23ヶ村が淀川洪水のたびに荒廃した。
疲弊した農民を救うため、封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし、京都郡代所の反対をおして、延宝6年4月8日、中島大水道の堀さくを完成。
その責を負い当地にて自決され、農民の神として当地の発展に寄与さる。その遺徳を讃え合祀。
2023/11/23 17:09:08
塚しかない。
飲食物・お金のお供えは辞える様に手書きの案内があるのが悲しいが盛り塩はされていました。
2023/11/23 17:28:20
主祭神 - 宇賀御魂神、受保大神、大市比賣神
相殿神 - 菅原道真公、天児屋根神、経津主神、武甕槌神、姫大神、天照皇大神、事代主神、応神天皇、速素盞鳴神、大名牟遅神、少彦名神、猿田彦神
2023/11/24 07:49:51
総本社宇佐八幡宮
祭神は八幡大神、誉田別命、応神天皇
2023/11/24 07:58:20
正暦年間(990年~995年)藤原重治がこの地の開拓にあたり、この樹林に小祠を建立して孝徳天皇を祀ったのが起こり。
色々な神様が合祀されています。
2023/11/24 07:59:57
鹿島神社ですから御祭神は建御雷(たけみかずち)神
2023/11/24 08:00:18
えべっさん
2023/11/24 08:00:45
市杵島姫神と徳川家康殿をお祭りしている様です。
2023/11/24 08:01:19
お稲荷さん
2023/11/24 08:11:51
主祭神は速素盞嗚尊(すさのおのみこと)
2023/11/24 08:12:37
2023/11/24 10:33:41
1200年ほど昔の弘仁十三年(822年)に、第五十二代天皇であらされた 嵯峨天皇さまが当地に御行幸あそばされ、現在の御本社のある神山の地に頓宮を構え一宿された事に由来する神社です。
「天神さま」こと菅原道眞公が、太宰府に赴任する際に立ち寄られた場所だそうです。
「難波津に咲くや此の花冬ごもり今は春べと咲くや此の花」
10名ほどのツアー客がおられましたのでガイドの頭越しに写真を取りました」。
2023/11/24 10:40:16
中崎町の路地裏にある白龍大神(はくりゅうおおかみ)
御神木には白蛇が住んでいた事から地域を守る神様として親しまれている様、立ち寄り5分でお参りしている人2名こられていました。
2023/11/24 10:45:00
詳細不明
青龍明神:「龍=蛇」であることが多いので、蛇を祀っているのだと思われる。
黒崎明神:「黒崎町」と同じ名前なので土地神さまだと思われる。
2023/11/24 10:56:57
祭神
天照大御神の第2子「天穂日命(あめのほひ)」
学問の神様「菅原道真公」
2023/11/24 11:03:01
祭神
応神天皇
宇迦之御魂神(ウカノミタマ)
佐田彦神(サタヒコ)
大宮能賣神(オオミヤノメ)
2023/11/24 11:30:45
創建年代は不明であるが、鎌倉時代の初期にはこの地に天台宗の赤川寺(大金剛院)が建立されていた。
平安時代にはこの近辺で多数の荘園が開発・経営されており、また、すぐ北を流れる淀川が頻繁に氾濫を起こす為、災害を鎮め、荘園経営を安定させようと寺院が建立されたと考えられる。
2023/11/24 11:36:49
詳細不明、笠松大神を祀っている、子安地蔵尊併設
2023/11/24 11:06:40
貞享(じょうきょう)3年(1686)在銘の五輪塔が建っていることから墳丘と考えられるが、誰のものかは不明である。
地元では鴬塚とよばれて、鴬にまつわる伝説を残している。
・長柄長者の姫の死後、鶯が悲しみの余り後を追うように死んだため作った墓。
・孝徳天皇の女官の鶯式部の墓。
2023/11/24 11:17:17
御祭神は天照坐皇大御神・八幡大神・住吉大神・賀茂大神・廣田大神・松尾大神・熊野大神・稲荷大神・ 三十川大神・春日大神・白山大神・大原野大神・子守大神・布留大神・生野大神の以上十五柱
2023/11/24 11:44:47
『1945年(昭和20年)6月7日大阪を襲った大空襲の際、大阪市内で死者数万人を出したが、そのうち身元不明の人、千数百人の遺体を城北公園裏の淀川堤に集められ荼毘に付された。
このときの犠牲者の冥福を祈り、巷間の義人の東浦栄二郎氏が庭石に「千人つか」と刻み、現地に置いたが、爾来30有余年が過ぎ、この塚の謂れも忘れ去られてしまったので、ここに由来を刻し、この地下に眠る千数百人の霊の冥福を祈り、国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛恨と犠牲の再現を永く阻止し、世界人類の和平を祈願する日本国民の総意を世に問う』とある。
2023/11/24 12:11:37
神社ポタリング第二段、新大阪周辺。
2018/12/09 に第一段をしているので。年末になると思いつくのか?